なぜお米が消えたのか?平成と令和二つの米騒動が語る日本の食料安全保障の未来

はじめに:二つの「米騒動」が問いかけるもの
こんにちは、ノウキナビです。
今回は、私たちの食卓に欠かせない「お米」を巡って、日本が経験した二つの大きな出来事、「平成の米騒動」(1993年)と記憶に新しい「令和の米騒動」(2024年から2025年)について、じっくりと掘り下げていきたいと思います。
平成と令和二つの「米騒動」。
その二つの「米騒動」がそれぞれどんな背景で起こり、どんな影響をもたらし、政府や市場がどう対応したのかを、詳しく見ていきます。過去の経験から何を学び、今の課題にどう活かしていくべきか。そして、将来に向けて、もっと強い食料システムをどう築いていけばいいのか、一緒に考えていきましょう。
平成の米騒動と輸入米:当時の政府の複雑な思惑
まずは1993年に起こった「平成の米騒動」から振り返ってみましょう。これは、戦後日本が経験した中でも、特に深刻な食料危機の一つとして、多くの人の記憶に残っています。この時は、ある一つの大きな自然現象が引き金となりました。
発生の背景:記録的冷夏とピナトゥボ火山噴火
1993年、日本は本当に大変な夏を迎えました。なんと1913年以来80年ぶりという、記録的な大冷夏に見舞われました 。この冷夏、実は1991年6月にフィリピンで起きたピナトゥボ火山の大噴火が原因の一つと言われています 。火山灰が太陽の光を遮って、地球全体の気温に影響を与えたとされ、日本の夏の気温も平年より2度から3度以上も低くなるという異常気象でした 。梅雨明けがはっきりしないまま長雨と低温が続き、農作物、特に私たちの大切な米に、過去最大規模の被害をもたらしました。しかも、その前の1991年も作況指数が95と、少し不足気味だったため、お米の在庫が少なかったことも、1993年の深刻な米不足に拍車をかけました 。
政府は緊急措置として海外からの米輸入を決断しましたが、その過程には、単なる食料確保に留まらない、当時の国際情勢と国内農業政策が複雑に絡み合った思惑が見え隠れしていました。
GATTウルグアイラウンド交渉と米市場開放の圧力
当時、世界貿易機関(WTO)の前身であるGATT(ガット)のウルグアイラウンド交渉が佳境を迎えており、アメリカをはじめとする主要国からは、日本に対して閉鎖的だった米市場の開放、特にミニマムアクセス(最低輸入義務)の受け入れを求める強い圧力がかけられていました。日本政府は、長らく維持してきた「米の聖域」を守るため、交渉の矢面に立たされていました。
タイ米が選ばれた「背景」 そしてその「評価」
このような国際的な背景の中、緊急輸入されたのは主にタイ米でした。当時、国産米に慣れ親しんでいた日本人にとって、タイ米の食感や香りは大きく異なり、消費者の間では「美味しくない」「臭い」といった声が広がりました。じつはこれにはある思惑があり、輸入されたタイ米が等級の低い5等米であったという意見も存在します。
もし輸入された米が非常に美味しく、かつ安価であったならば、国民の間に「海外からの米でも十分だ」という認識が広がり、結果的に国内の米生産基盤が揺らぎ、ウルグアイラウンド交渉における日本の立場が弱まることを懸念した可能性がある、という指摘です。
実際、タイ米の品質に関するネガティブな報道が相次ぎ、消費者の間に輸入米への不信感が募ったことは事実です。これには、実際に異物が混入していた事例などもありましたが、報道がその印象をさらに決定的なものにした側面も否めません。
複雑な事情が絡み合った平成の米騒動
平成の米騒動は、単なる自然災害による米不足というだけでなく、当時の国際交渉の圧力、国内農業の保護、そして食料安全保障という多岐にわたる課題が交錯した結果として理解することができます。緊急輸入されたタイ米に対する国民の反応は、結果的に、日本の米市場開放への抵抗感を維持する一助となったとも言えるでしょう。
教訓と備蓄米制度の確立
平成の米騒動という苦い経験から、日本は大きな教訓を得ました。その結果、1995年に「備蓄米制度」が確立されました。これは、お米の生産量が大幅に減ったり、不作になったりする事態に備えて、政府が計画的にお米を備蓄する仕組みです。10年に一度の不作にも対応できるよう、100万トンを目標に、毎年20万トンずつ古いお米を新しいお米に入れ替える運用が始まりました 。
この備蓄米制度の確立は、食管法の廃止(1995年)と、それに代わる新しい法律「新食糧法」の施行(1995年)と同時に進められました 。新食糧法は、お米の政府管理から、民間の流通を主軸とした制度へと移行を図り、市場の原理を取り入れ、規制を緩和し、ミニマムアクセス輸入(最低限の輸入義務)に対応することを目的としていました 。
令和の米騒動(2024-2025年)の多層的要因
次に2024年から現在まで続く「令和の米騒動」について見ていきましょう。この騒動は、平成の米騒動とは少し違って、一つの明確な原因があるわけではなく、複数の要因が複雑に絡み合って発生しています。これは、日本の米市場が経験してきた構造的な変化と、国内外の新しい状況が重なったことによるものと分析されます。
どうしてコメが足りなくなったのか?~始まりは夏の暑さから~
2023年の夏は、本当に暑かったですよね。あの記録的な猛暑と雨の少なさが、私たちの食卓に欠かせないお米にも大きな影響を与えました。特に、新潟や秋田といった有数のお米どころでは、お米の品質が落ちてしまったり、収穫量が減ってしまったりということがありました。
しかしこの状況は単一の要因に起因するものではありません。新型コロナウイルス感染症の影響緩和に伴う外食需要の回復に加え、インバウンド需要の増加が米の消費量を押し上げました。さらに、国際的な小麦価格の高騰は、消費者および事業者による米製品への代替需要を喚起し、結果として米の総需要を増加させる一因となっています。
見えないお米と不安な気持ち~流通と国民の心理~
お米の供給が追いつかなくなった背景には、長年続いてきた「減反政策」という国の仕組みも関係しています。これは、お米が余りすぎないように生産量を調整するものでしたが、これがかえって、ちょっとした不作でもすぐに影響が出てしまう原因になってしまったようです。
また、最近ではお米の流通の仕方も変わってきて、昔のようにすべてJA(農協)を通るわけではなく、直接農家さんとお店がやり取りすることも増えました。そのため、「今、日本全体にどれくらいのお米があるのか」という全体像が見えにくくなってしまい、それが「お米が消えた!」といった不安な気持ちを広げてしまった側面もあります。さらに、お米の値段がこれからも上がるかもしれない、という期待から、買いだめや売り惜しみといった動きが出てしまったことも、お米が手に入りにくくなった一因と言えます。
政府対応の課題
農林水産省は当初、お米の不足を認めず、備蓄米の放出にも否定的だったと批判されています 。2025年3月から、買い戻し条件付きで備蓄米の放出を始めましたが、その効果は限定的で、持続的な値下げにつながるかが課題とされています 。備蓄米の放出が遅れたことが混乱を深刻化させたと言えます。

平成と令和の米騒動:決定的な相違点と共通点
平成と令和の米騒動は、どちらも私たちの生活に大きな影響を与えた「お米不足」という共通点を持っていますが、その原因、市場や流通の仕組み、政府の対応、そして根底にある食料安全保障政策の考え方には、決定的な違いが見られます。
原因の比較:自然災害 vs. 複合的・人為的要因
平成の米騒動は、主に1993年の記録的な大冷夏とピナトゥボ火山噴火という、単一の強力な自然災害が直接的な引き金となりました 。前年の在庫不足も影響しましたが、主な原因はやはり天候不順でした。
一方で令和の米騒動は、2023年の猛暑・少雨といった異常気象も一因ではありますが 、それ以上に、長年の生産調整(減反)政策による供給量の抑制 、農家の高齢化と後継者不足 といった構造的な供給課題、コロナ禍からの需要回復やインバウンドの増加、小麦価格高騰からの米へのシフトといった需要の増加 、さらには流通の「不可視化」と投機的な行動 が複雑に絡み合って発生した結果になります。
政府対応の比較:緊急輸入と制度構築 vs. 備蓄米放出の遅れと政策転換の議論
平成の米騒動では、お米の不足が確定すると、政府は緊急輸入(主にタイ米)という異例の対応を取り 、その経験から1995年には「備蓄米制度」を確立しました 。これは、危機への対応と制度改革が比較的迅速に行われた事例と言えるでしょう 。
一方、令和の米騒動では、農林水産省は当初お米の不足を認めず、備蓄米の放出にも消極的だったと批判されました 。その後、備蓄米の放出は行われたものの、買い戻し条件付きであるなど、その効果やタイミング、運用方法に課題が指摘されています 。また、減反政策の見直しや輸出拡大(「無償の備蓄」としての輸出)といった、より根本的な政策転換の議論が活発に行われています 。
消費者行動の比較:パニックと異文化拒否 vs. 価格高騰への適応と買い控え
平成の米騒動では、お米不足の報に触れ、消費者はスーパーに殺到し、買い占めが発生しました 。緊急輸入されたタイ米に対しては、味や品質に対する不満から強い拒否反応が見られました 。
令和の米騒動では、価格高騰が続く中で、消費者はパンや麺類から米食へのシフトを見せましたが 、同時に米価の高止まりが続けば、再び米離れが進む可能性も指摘されています 。業者による「売り惜しみ」や「買い占め」の噂も広がり、消費者の不安を煽った側面もあります 。
一方、令和の米騒動は、作柄不良も一因ではあるものの 、それ以上に、長年の減反政策による生産抑制 、農家の高齢化 、そして自由化によって複雑化し「不可視化」した流通構造 が、需要変動(インバウンド、小麦からのシフト)に対して脆弱なサプライチェーンを露呈させたことが本質です。
つまり、平成は「量」の危機、令和は「システム」の危機であり、対策も単なる輸入や備蓄だけでなく、抜本的な構造改革が求められる段階に入ったことを意味しているのです。
これは、食料安全保障の概念が、単なる「物理的備蓄」から、「市場メカニズムを活用した生産性向上と供給力強化」へと進化していることを示しています。しかし、この進化の過程で、従来の減反政策を維持しようとする既得権益(JA農協、農林水産省の一部)と、市場原理を重視する改革派との間で、政策的な葛藤が生じていることも示唆されています 。
平成と令和の米騒動から学ぶこと:私たちの食卓を守るために
平成と令和、二度の「米騒動」は、私たち日本人にとって、食卓の安定がいかに大切かを教えてくれました。これらの経験から、私たちは何を学び、どう行動すべきでしょうか。
私たちが学ぶべきこと・すべきこと
まず、一番大切なのは食料自給率の重要性です。海外に食料を頼りすぎると、世界の情勢や天候に左右され、いざという時に困る可能性があることを痛感しました。また、インターネット時代の今、正しい情報を見極める力(情報リテラシー)も非常に重要です。不確かな情報に惑わされず、冷静に判断する力を養う必要があります。
では、具体的にどうすればいいのでしょう? 私たちは積極的に国産米を選び、日本の農業を応援することができます。そして、災害だけでなく、万が一の供給不足に備えて、家庭での食料備蓄を習慣にすることも大切です。さらに、日本の農業が抱える高齢化や後継者不足といった問題に関心を持ち、持続可能な農業をどう支えていくか、私たち消費者も一緒に考えることが求められます。
まとめ
今後の見通しとしては、政府も対策を講じていますが、すぐに状況が元通りになるわけではないでしょう。
平成の米騒動は翌年後半には収束していきました。令和の米騒動は複合要因で複雑化し、来年秋以降の落ち着きが期待されますが、以前の価格水準に戻るかは不透明です。
短期的には米の価格は高止まりするかもしれませんが、来年の作柄が良ければ落ち着く可能性も期待されます。流通の透明化や、気候変動に強い品種の開発など、日本の農業全体が変化していくでしょう。
「米騒動」は、私たち一人ひとりが食料問題に関心を持ち、日々の選択を意識していくことの重要性を教えてくれる出来事です。私たちの意識と行動が、将来の豊かな食卓を守る鍵となります。